なんだかコロナのゴタゴタで、今の事も、先の事も、考えると
この先どうなるか分からない重苦しい雰囲気はありますが、
それでも、思えば3年前の今頃の方が、
私にとってはお先真っ暗で、どうすればいいか絶望感に包まれて
苦しかったですね。。。
というのも、3年前の5月は、認知症のボケ父のボケ活動が
一番活動的だった頃で、
毎日の早朝徘徊(本人は勤めに出ているつもり)
徘徊からの、倒れて通行人に救急車を呼ばれる×2回
激高、母への暴力未遂、
しかし認知症診断すら受けれていない状況(本人拒絶)
・・・etc
私はストレスで心臓をやられて手術したり、
母も介護鬱になって激痩せしてしまうし、
ボケ父殺してムショに入るか?
この先ボケ父が生きる年数よりも、服役して出所した方が早いんじゃないか?
と頭をよぎるほど、ボケ父の為に一家総倒れになる寸前でした。
しかし、災い転じて福となす?
ボケ父が徘徊して、外で転倒して、通行人に救急車を呼ばれたのをきっかけに
その時は、母も私も大変でしたが、
搬送先の病院が、うまいことボケ父を
「頭を打ったかも知れないので、後で頭の精密検査を受けましょうね。」と、
認知症診断を受けるのを誘導してくれ、
ボケ父もその気になり、別の意味での頭の精密検査=認知症診断
にこぎつけたのでした。
そして、やっとこさ専門クリニックへ連れて行く事ができ、
初めての認知症診断で、その場で認知症重度、
(長谷川式で30点満点中 6点)
母の疲弊ぶりから、
関連の精神病院の認知症病棟へ 医療保護入院という選択があると
クリニックの医師に提案され、
この機会を逃したらならない!と、その場で即決、
1日で、一気に全ての事を進めたのでした。
あの日の、母と私の行動力といったら!!
男手のいない、車も持っていない、女2人が
よくぞあそこまで1日で動いて成し遂げたなと思います。
3年前の5月を思うと、今の状況は、ボケ父が在宅じゃないだけでも
平和だなって。。。
まだ、自分的には余裕があります。
あの時は、絶望感しかなかったもの。
今でも、ボケ父が老人ホームに入って、家のお金をジャブジャブ
老人ホーム代、オムツ代に流している事や、
私がボケ父の老人ホームの、連帯保証人&連帯債務者となって、
いつ終わるか分からない、ボケ父が生きている限り続く
負債を背負った事に、
そのプレッシャーと不安感に押し潰されそうになるけれど、
でも、ボケ父が今目の前にいなくて一緒に暮らしていないだけで幸せ。
今のコロナ禍で、ボケ父を在宅介護だったら、
ボケ父は不潔なやつだったし、人の言うことを聞かないから、
家の中の衛生を保つとか、とてもじゃないけれどやっていられなかったです。
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