先日は、2年前に死去したボケ父のめえにちでした。命日ね。
私は、何も思う事もなく、ただの無、です。
憎しみも、悲しみも、懐かしみも、何も、感情の起伏の類いは何もなく、
ただの無、ですね。
このブログには、生前、あれほど恨み辛みを書いて、
ボケ父が死んでもこの気持ちはずっと残るような気がしていましたが、
亡くなってしまえば、ただの無、です。
しかし、亡くなってから2年経つのですが、
たった2年ですけれど、2年どころじゃなく、
遙か彼方、ずっと遠い昔の事のように感じます。
私の中で、ボケ父関連はすごく風化が早いような気がします。
命日でも、あんまりボケ父の事を考える事はありませんでした。
きっと私の中では、ボケ父関連はもう終わった事なんでしょう。
命日は、母が仏壇じゃないけれど、自作の仏壇もどきのものに
炊き込み御飯を作って、仏壇花と一緒にお菓子や果物のお供え物をしていました。
家の中が煤けるのがイヤなので、線香やロウソクは焚きません。
お経も知らないから読みません。
命日でしたけれど、親族関係からは特に何も、連絡等はありませんでした。
娘の私ですらこんな感じなので、
家族以外の人からしたら、そんなもんでしょう。
ただ、母は、命日で今年は三回忌ですので、
親族から香典やお供えとか何かが届くのではないかと、
お礼の電話やお返しが面倒くさいので、そういった物を貰いたくなく、
ひたすら怯えていました。(向こうの親戚と交流したくないから。)
こういうのって、命日よりも、
お盆の方でやり取りするものなのかな?
暑いので、命日でもお墓参りには行きませんでした。
まだ一度も、永代供養の合祀墓には行った事はありません。
きっと多分、一生、行かない気がします。
その為の、永代供養の合祀墓を選んだのだから。
ほんとにもう、ボケ父の事には何も、興味がないし、
墓参りしようとか、命日だから何かしようとかいう意欲が湧かないのです。
私にとっては、全部終わった事で、始末がついた事なんです。
もう、なんにもないのよ。
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