乳癌で闘病中であった、小林麻央さんが息を引き取られ
海老蔵が記者会見を行いました。
顎に転移して、在宅療養になった時から、状況はかなり厳しいのだと想像できましたが、
7月の勧弦くんの舞台まであと10日あまり。。。
それまで頑張って欲しかったです。残念ですね。
病院で過ごした方が痛みや、身体は楽だったのかも知れないけれど
最期は子供たちと少しでも一緒に過ごす事を選んだのでしょう。
母という立場ならば、誰もがそう望むことでしょう。
私の知人で、お母上が白血病になり長く闘病されていて
娘の結婚披露宴に、救急車を待機させ気力を振り絞って出て、
部屋の一番後ろからそっと覗いて、娘の姿を見届けると
すぐに救急車で病院へ戻って、その2日後に亡くなった方がいました。
なんだかそれを思い出しました。
麻央さんには勧弦くんの舞台を見るその力も残っていませんでした。
母という人はね、死んではならない存在なのです。
この世のすべての母に、健康で長生きしてもらいたいものです。
麻央さんのご冥福をお祈り申し上げます。
コメント
こんにちは
今日は私の話。
6年前2月、私はくも膜下出血を起こしました。家に犬しかいないとき。
犬の前で死ねば犬は私が死んだことを理解できるだろうし、娘は秋のうちに国立大学に合格していたのであとはまじめに勉強すれば私が死んでも大丈夫だろう、と薄れゆく意識の中でぼんやり考えていました。
最後の力を振り絞って夫に電話をかけてみましたが声がもう出なかったので、間違いかな、と思ったそうです。
麻央さんは無念だったと思います。お子さんたち、小さくてやるべきことがたくさんあったのですから。ご冥福をお祈りします。
夫は、自分は海老蔵さん状態だった、命が助かる保証はないと言われて泣いた、と申しております。ドラマとか他人の葬式とかでポロポロ泣いちゃう人でしたが、私が死ぬ以上に悲しいことはないので泣かなくなりました。
今死んでしまえば認知症が始まった老母の面倒を見なくていいから、ま、いいかとも思いましたが、奇跡的に死ななかったし、後遺症も残らず元居た会社でパート事務員をしています。
自分のことで手一杯だった間に母の認知症はひどくなっていたのでした。
みみ様
そんな大病を経験なさっていたとは!
ご主人に電話できたとはいえ、状況を理解してもらって救急車が来るまでそれなりに時間がかかったのではないですか?
命が助かり、後遺症も無く職場復帰されたのは、まさに奇跡ですね。本当に良かったです。
でもストレスは大敵ですね。これからもご自愛くださいね。