ボケ父が家から居なくなって1年

認知症のボケ父が、家から居なくなって1年が経ちました。

去年の5月半ばに、初めての認知症の診察で、医療保護入院の措置が取られ
そのまま精神病院の認知症病棟へ入り
その後は引き続いて、10月から老人ホームへ入って現在に至ります。
もう家に戻ってくる事は無いでしょう。

 

あれから1年か。。。
去年は激動の1年でした。

 

ボケ父は、数年前から認知症の症状が出始めて、
時折とんでもない不可解な言動をしたものの
シルバーの職場にも行き、まだ普通に生活できていたのが

去年の正月前あたりから急速におかしくなりました。




 

職場のシフト表が理解できなくなり、勤務表を書けなくなり、
8時半からの勤務なのに、夜明け前から出ていって、

それなのに職場に現れなかったりと徘徊が始まって、

退職した後も毎日、夜明けと同時に元・職場に行こうとし
止めると「半殺しにするぞ!」激高し、

生活費を払いたくないと言っては、母に殴りかかろうとし

数えきれないほど銀行のカードをATMに置き忘れ
小便をプラスチック容器に溜めこんで自分の部屋に隠し持ち、異様な臭いを放って

トイレは小便で汚しまくり、

2週間のうちに2回もテレビを壊して逆ギレして
電動自転車や家族の自転車で徘徊しては、どっかに置き忘れてきて母が探しに行く

 

そんな毎日で、医者に診てもらう事をボケ父にすすめても
「うるせー! オマエの頭の方がおかしいんだ!」と言って聞かなく
どうしたものかと、絶望的になっていたのですが

 

ボケ父は徘徊時に自転車で転倒し意識を失っているところを通行人に発見され

救急車で搬送される騒動を1ヵ月に2度起こし

それをきっかけに、頭を打ったから脳の検査すると言いくるめて
ようやく、ボケ父を認知症のクリニックに連れて行く事ができました。

 

それが去年の今頃。




認知症クリニックでは、診断テストで30点満点中、6点しか取れず

重度のアルツハイマー型認知症と診断され

母が衰弱していた事と、ボケ父に暴力性が認められた事から
在宅介護は困難であると、医師の判断で、医療保護入院の措置が取られました。

 

医療保護入院とは、本人の承諾ナシでも入院措置が取られるのだけど
医師の説明によって、ボケ父も了承した上での入院でした。

 

それから、その日のうちにクリニックから直接、
入院施設のあるクリニックの母体病院へボケ父を連れて移動し、ボケ父は入院。
母と私だけ帰宅しました。

 

母も私も、そしてボケ父にとっても、思いもよらない急展開でした。

 

母と私は、ボケ父を認知症クリニックに連れていっても
せいぜい認知症判定と、本人へ告知する程度で、
在宅介護が本格的に始まるに過ぎなく、
デイサービスの場所を探したり、本人に行くように説得したり
これからが忙しくなって大変になると思っていたので

 

クリニックへ連れて行くまでは苦労したけれども
こうもあっさり、ボケ父が一瞬で家から居なくなるとは、

暗く閉ざされていた目の前が、ぱぁ~と明るく開けてきた感覚でした。



ボケ父を直接介護しないとはいっても、
今でも介護費用の問題で、ボケ父にイライラさせられ
ストレスが無くなったわけじゃないですが
同居が解消されたのは大きいです。電話口撃も無くなったし。

 

去年の今と、今年の今。1年でこうも変わるのかと。
そして、今年はボケ父の部屋の完全リフォームを目指します。

 

も~、臭くて臭くて使えない部屋を、使える部屋にする!
行動を起こすのはなかなか大変だけど、頑張るぞ!

 

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