3ヶ月ぶりの、ボケ父の面会

母が、認知症で老人ホームへ入居しているボケ父の、面会に行ってきました。
前回母が面会に行ったのが7月で、今回は我が家のリフォームがあったりで、
ちょっと間が開いて、3ヶ月ぶりの面会でした。

 

母いわく、ボケ父はだいぶ老けて小さくなっていたと。

 

車イスに、ヨボっとした感じで座っており、
あれでは本当に一人で歩くのは難しいだろうと。

 

去年の、家に居た4月までは、ボケ父は足腰が丈夫で、
マンションの階段をゴリゴリ一段飛びで昇っていたし、
母をぶん殴ろうとして、走って跳びかかってたので(私が止めた)

 

ボケ父が老人ホームに入ってから、インフルエンザで高熱を出し、
数日寝込んだのをきっかけに歩けなくなって車イスになった事が
私は未だに信じられないのですが。。。

 

でも、母が見て歩くのはムリと思うのだから、実際にそうなのだろう。

 

それから、母が差し入れた巻き寿司や切った柿を食べる手が

プルプル震えてとてもおぼつか無かったと。




 

箸で巻き寿司を持てないし、爪楊枝で柿を刺すのも時間がかかって、
手掴みで食べさせたという。
枝豆もあったのだが、枝豆の食べ方を忘れて分からなかったらしい。

 

家では器用に包丁で林檎を剥いたりしていたのにね。。。

 

歩けなくなった件といい、手が震えておぼつか無い件といい、
アルツハイマー型認知症だから、脳のそういう機能の部分が
侵食されてスカスカになってしまったのだろう。

 

しかし、ボケ父が老け込んで弱弱しくなったといっても、
充分に元気で、しばらくお迎えは来なさそうだ、という母の報告でした。
え~、困る!

 

あとは、ボケ父は、
「ティー子は元気か~。。。?」と、鼻水を垂らして泣いていたと。

 

私の事は、覚えているらしいが、(早く忘れて欲しい)
ボケ父の言う ティー子とは、一体いつの時代の私を言っているのだろうか?

 

小学校に入学する頃の私か、大学生の私か、現在のアラフォーの私か。

 

ボケ父が施設に入ってからは、私の事を、
小学校入学前か、大学生のどちらかでしか思っていなかったので、

ボケ父の中では、現在のアラフォーの私は、ナイと思う。




ボケ父は、私に会いたいのだろうが、私が次にボケ父に会う時は、

ボケ父が危篤の時だと決めている。

 

妻は無料の家政婦で、子供は水さえやれば勝手に育って、
将来自分の世話をしてくれるのは当然って、
生活費を40年に渡って、出したくないとゴネ続けたボケ父。

 

なのに、ボケて実行能力が無くなった途端に
「ティー子の入学金はオレが出すから~。」とか、
20年も前に卒業して必要がなくなった頃に、
今更そんな家族思いな事をボケ父は言い出した。
しかし、昔の自分の振る舞いを、本人は忘れても、私が覚えている。

 

現在、私がボケ父の老人ホームの手配をして、
連帯保証人および連帯債務者となって世話している。
当然だ。親子だからね。

 

ただし、
私との面会のオプションはありません!

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