ボケ父を霊安室から移送

ボケ父を病院の霊安室に安置して、
私が手配した葬儀会社が引き取りに来るまでに1時間半ほどかかるので、
その時間に再び霊安室に再集合という事になり、
看護婦さんとエンゼルケアの業者さんは引き上げて行きました。

母と私も、何かお腹に入れないと、と思い、大雨でしたけれど病院の外へ出ました。
なんせ、明け方の4時に電話で叩き起こされて、
ろくな物も食べずに飛び出して、ここまで駆けつけましたから。

それに、葬儀会社が来るまで1時間半。
それが終わったら、また2時間以上かけて自宅に帰るので、
ここで何か食べておかないと体力が持ちません。

明け方の4時から動いているので、随分時間が経った気がしたのですが、
まだ午前10時頃でした。

病院は、駅前から離れていた事もあり、周囲には何も飲食店はありませんでした。
それで、大雨の中、入って食べられる店を探し求めて、
結局、駅前まで戻り、牛丼屋に入りました。
ファミレスがあれば良かったのだけど無くて、
牛丼屋ぐらいしか入れる店がありませんでした。

牛丼屋で、サラダとお味噌汁の付いた朝食セットを食べて。
「おいしい。」と母。
「やっぱ、食べなきゃ馬力が出ないからね。今日は体力勝負になるし。」と、
そんな事を話しながら一息ついて、病院へまた歩いて戻りました。

病院へ戻ったら、霊安室の中ではなく、外にもイスとテーブルがあったので、
そこで座って、私が手配した葬儀会社が来るのを待ちました。
母も私も、ものすごく淡々としていて、ボケ父が臨終したからといって、
ボケ父の遺体に泣いてすがるという事はありませんでした。

私はとにかく、なるべく少ない労力と費用で、全てを済ませたいと思っていましたし、
母も同じでした。

早朝に危篤の知らせがあって、その日の内に決着が付いたのは良かったと、
持ち直して、また明日、明後日と、何度も病院から呼び出されるような事に
ならなくて良かったと、とにかくほっと安堵した気分で、母と顔を見合わせては、
「今日で決着ついて良かったねー。また出直しとなったら大変だったよ!」とか、
死亡診断書が今日発行してもらえない事に小さい声で文句を言ったりしていました。

そして、母と喋っている途中で私が、
ボケ父が入居していた老人ホームへ、臨終した事をお知らせした方が良いのではないか? 
ボケ父は、老人ホームで下血をして、ここに搬送されたのですから。ご報告しなくては。
と大事な事を思い出し、すぐに電話をしました。

老人ホームへ電話をすると、ホーム長さんがいたのでご報告とお世話になったお礼を言って、
そうこうしているうちに時間になり、看護婦さんがやって来て、
私が手配した葬儀会社の人が車で到着しました。

葬儀会社は、男性が1人だけで来ました。
直葬だけの安いプランでしたので、担当が1人だけなのかな?
きっと、高い葬儀プランだと、担当者がもっと沢山付くのだと思います。

そしてまずは挨拶もそこそこに、非常に手慣れた感じでボケ父を安置室から車に移し替えました。
その間、母と私、看護婦さんは合掌。

ボケ父を車に移してから、あらためて葬儀会社の男性と、今後の打ち合わせを。
火葬は、私が希望した火葬場に、中1日を置いて2日後の朝一に、予約を取っていてくれました。
朝一しか空いていなくて、これを逃すと数日後にしか空きがなく、
それは私の仕事が、どうしても都合のつかない日だったので、
葬儀屋さんが予約を入れてくれたとおり、火葬は2日後の朝一に決行となりました。

しかしですね、死亡診断書が無いのだよ! 
今日は主治医がいないから発行できないんだって!

葬儀屋さんも絶句しており、それで、次の日の朝一で、
私がまたこの遠い病院まで死亡診断書を取りに来て、
葬儀屋さんとは役所で待ち合わせをして、死亡診断書を引き渡すという流れになりました。

何度も言うように、とにかく自宅から病院までは片道2時間以上もかかり、
朝一でまた病院へ来て、トンボ返りしたとしても、午後になり、
そして葬儀屋さんが役所で火葬許可証を取って、次の日の朝一に火葬という、
時間的にギリギリのスケジュールなのでした。

死亡診断書が無いと、火葬許可証が出なくて、火葬ができないからね!

そういう事で、次の日の2時に、役所で葬儀屋さんと待ち合わせをして
葬儀屋さんはボケ父の遺体を車に乗せて引き上げて行きました。

(次へ続く)

お読み頂きありがとうございました。
↓ ついでにブログ村のクリックもして下さると嬉しいです。
にほんブログ村 ライフスタイルブログ おひとりさまへ
にほんブログ村

ボケ父臨終
ティー子をフォローする

過去記事ランダム


ひとりで楽しく、早期リタイアを夢見て

コメント

タイトルとURLをコピーしました