東京都、週末は涼しく過ごしやすいありがたい日でした。
週末は、お彼岸だったのですね。
秋分の日が土曜日に重なって、振替休日でもなかったので、
あまり意識せずに普通の土日のように過ごしてしまいました。
でも母が夕方になって、「お彼岸だったのに何もお供えしなかったわ。」
と後悔の念を口にしたので、それで私もそうだったか、と思ったのです。
母は昔の人間で且つ大家族で育ったので、仏事をやろうとは気持ちはあるのですが、
気力がついていかないタイプです。
今は残暑が厳しいし、年齢的なのもあるのでしょうね。
私は東京で、父母だけの核家族で育った為か?
お彼岸とかお盆とか、ホント、意識が無いです。
今年も、お彼岸の供養にボケ父の入った永代供養の合祀墓に行かなかったな。
お寺に遺骨をお願いしてきてから、一度も合祀墓に行った事がない。
これからも、一度も行くことは無いと思います。
母が以前は、「一度は合祀墓に、どんなもんか行って見てこないと。。。」
とは言っていたのですが、最近はそういう事を口にしなくなり。
母ももう、後期高齢者なので、電車やバスを乗り継いで墓参りというのは
負担になってくるでしょうし。
私は私で、仏事には疎いほうなので、母が行かなければ
自分一人で行くほどでもない、という感じです。
母が行きたくて、その付き添いでなら行くけれど。
なんというか、あんまり納骨後の仏事を何度も、という意識が私には欠けていますね。
火葬して、納骨すればそれでよいじゃないの?と。
それは私が、独り者で、兄弟姉妹もおらず、姪っ子甥っ子もいないので、
私の死後、供養する者が誰もいないので、
私がそれをもう、納得して割り切ってしまっているのだからだと思います。
亡くなったのが遺恨のある、記憶から消したいボケ父だからかな?
とも思ったのですが、それとも違うみたいです。
母が、ちゃんとした仏壇じゃないけれど、部屋の一角に
「なんちゃって仏壇コーナー」を勝手に作って、
ボケ父や、自分の実母の写真をあげて、お水や仏壇花を供えているけれど、
私は好きだった母方の祖母にも、あんまり手を合わせなし、
お水を替えなきゃ、とも思わないから。
子供の頃に、仏壇とか仏事とか墓参りとか、そういう文化を経験していないからだと思います。
今はちょっと、母が勝手に作った「なんちゃって仏壇コーナー」を
母亡き後に継ぐのが、ちょっと重荷だったりします。。。
私は一人で生きる老後なので、あんまり故人を毎日思い出しながら生きていくのは
寂しく辛くなりそうで嫌な気がします。
日々、これから会う生きている人の事を考えていたい。
でも、母が亡くなったら、私の意識も変わるのかな?
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