ボケ父、これまでの経緯

(7月の出来事を綴っています。)

母と私は、病院からボケ父危篤の電話を受け、
午前5時台の、始電から2つか3つめの電車に飛び乗って、
ボケ父が入院している遠い隣県の病院へ向かいました。

電車の中で母と二人、
「まさか今日、危篤の電話がくるとは思いもよらなかった。」とか
「今日で決着つくかね?」とか、そんな話をしながら。

母は、今日で決着がつくと考えていて、
私は慎重派なので、危篤になりつつもまた持ち直して、
こういう風にこれから何度も病院に呼び出される日が続くのではないか?と懸念。

実際、親戚にボケ父と同じ様に下血で入退院を繰り返したり、
また別の親戚も、危篤から持ち直しての繰り返しで数年続いた人もいましたので。

コロナ禍で病院から面会は一切禁止されており、何かあったら連絡が来る事になっていましたが
これまで、ボケ父が弱ってきたとかそういう連絡は無く、むしろ病状は安定しており、
積極的治療の拒否とか看取りとか、私が希望していても、
主治医の院長から、そういう段階ではないと否定されていましたので
いきなり危篤の連絡がきて、とにかく母と私は驚きました。

これまでの経緯をまとめますと。。。

ボケ父は4年前に、徘徊や暴力的など認知症の症状が激しくなり、
初めての認知症診断で訪れたクリニックで、重度の認知所診断を受け、
即日、そのクリニックの本部である精神病院の認知症病棟へ、医療保護入院となりました。
その後、そこで介護認定を受けて、要介護2の判定へ。

ボケ父は、電動自転車に乗って早朝徘徊を繰り返したり、暴力的言動など、
体は元気な認知症で、女手しかない我々の手に負えず、
母が介護鬱で激痩せしたのもあり在宅介護は無理で、
かといって要介護2では特養にも申し込めず、

費用面など含めて医療保護入院していた精神病院へ相談して、
遠くではありますが隣県の老人ホームを紹介してもらい、ボケ父はそこへ入居しました。
ここまでが4年前の話。

ボケ父は老人ホーム入居後まもなく、インフルエンザで高熱を出したのをきっかけに、
あれよあれよと衰えて車イスになり、要介護4へ。
その後は何事も無くつい最近まで安定して老人ホームへ入居していましたが、

今年の5月に、ボケ父は大量下血をし、老人ホームから救急搬送されました。
下血による出血性ショックを起こしていましたが、輸血をして、危険な状態からは脱し
そのまま搬送先の病院に入院しておりました。

主治医の院長からは、ボケ父は回復状態にあり、
積極的治療を止めて看取りに入るという判断は時期尚早との事で
栄養点滴や、口からの食事を視野に治療を継続すると説明がありました。

入院先の病院は、コロナ禍で面会は一切禁止。
何かあったら病院から連絡が来る事になっていました。
なので、我々はボケ父が下血で救急搬送されてから一度も、面会には行っていません。

そして6月下旬に病院から私へ電話があり、主治医の院長から病状説明をするので
その電話会談の予約を取って下さいと、1週間後の日時を指定されました。
しかし、その電話会談が予定されていた前日に、
このように、ボケ父が危篤となり早朝に病院から呼び出されたワケです。(7月の出来事)

ボケ父が弱ってきていたら、電話会談は1週間後なんて悠長な事を言ってられないはずなので
病院から電話会談を打診された時点では、ボケ父は安定していたのだと思います。
なので、急変したのではないかと推測します。

(次へ続く)

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