ホーム長が語る、ボケ父の緊急搬送の当日

7月の中旬。
ボケ父の火葬が終わり、4年お世話になった老人ホームへ
ボケ父の荷物の処分と、ご挨拶に訪問しました。

コロナ禍で、老人ホームはいまだ面会禁止の厳重態勢でしたので
面会じゃ無くて、ホーム長へご挨拶の訪問の私も、
建物の中には入れず、玄関先でホーム長と立ち話になりました。

ホーム長さんは、ボケ父の下血について、

・直前まで体調に異変は無かった。
・深夜に、見回りの看護師が、ボケ父が少量の下血をしている事に気が付いた。
 (深夜のオムツ交換の時でしょうかね?)
・翌日の午前中は、かかりつけ医の定期訪問診察の日だったので、
 それまで様子見という判断になった。

・翌朝に、再び見回りの時に、看護師が大量下血に変化している事を発見し
 かかりつけ医に電話報告をしたら、「朝の診療を待たずに、すぐに救急車を呼ぶように」
 という指示で救急搬送になった。
・救急車に乗るまで、ボケ父は意識があって会話ができていた。

という話がありました。
そっか、そうなのか。。。

ホーム長の話しを聞いて、そもそも、ボケ父は会話ができていたのか?
と私は意外に思いました。
4年間、面会をしていなかった私は、全然イメージできないのだけれど。

母は、コロナ禍になる前に面会しており、最後に会った時は
ボケ父は認知症が進んで、簡単な質問に小さい声で「うん、そう。」
ぐらいしか答えない。その「うん。」も合っているかどうか不明。
とりあえず言っているものと思われる。
と言っていたので、私も、会話はできず簡単な意思の疎通しかできないものだと
想像していましたので、「会話」というのは、これは意外でした。

搬送先の主治医の院長も、「意識はある」とは言っていたけれど
「意思はある」とか、「会話ができている」や「本人の言葉」とか
一度も言ってなかったからなぁ。

老人ホームのスタッフさん達が、表情から読み取るとか、
日頃からお世話しているからこそ理解できる会話、なのかなぁ?

でも、もう終わった事ですし、
そこを追求したからといって、どうにもならない話しですので
私からは何もボケ父の事はホーム長へは聞きませんでした。

そんな感じで、コロナ禍ですから玄関先で手短に、
お礼と菓子折をお渡しして、あとは荷物の確認と処分をお願いして
老人ホームを後にしました。

もうこれで、ここに来る事は無いでしょうし、
隣県のこの地域を訪れる事も、ご縁はこれで終わりでしょう。
入居から4年間、今までお世話になりました。

老人ホームの滞在時間は、僅か15分。
炎天下の中、2時間超かけてやってきて、また2時間超かけて帰ります。

あぁ疲れた。でもこれで遠出する用事は終わった。

(次は、遺族年金について)

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