ボケ父臨終を発表し、親戚からの手紙に心温まる

ボケ父臨終シリーズです。

7月上旬にボケ父が臨終し、7月の最終日に、
ずっと秘密にしていたボケ父の臨終そのものと、
ボケ父が実は認知症で4年前から老人ホームに入居していた事を
親戚に電話をして発表しました。
 参照記事⇒ボケ父の臨終を、親戚に発表す

ボケ父臨終の発表を受けて、その後、親戚から香典が続々と届きました。
そしたら面白いことに、ボケ父側の親戚からは、香典だけが現金書留で届き、
母側の親戚からは、全員、香典と共に手紙が添えられていました。

亡くなったのはボケ父なのに、ボケ父側の親戚からは、誰1人手紙が入っていないだなんて!

確かに、老人ホームに入居した4年前からずっと、
年賀状も、電話も、何もやり取りが無いぐらいだからね。
ただでさえボケ父は、自分ひとりの世界に閉じこもって、
自分の兄弟姉妹であっても人付き合いが苦手だったし、

↑の『ボケ父の臨終を、親戚に発表す』の中のリンク先にある
ボケ父の母親の財産分与の件で、母が濡衣を着せられて、
ボケ父の妹達から我が家は総スカンを喰らっていたのも理由だろう。
 参照記事⇒財産分与で親戚とゴタゴタ(後編)

しかし一方で、母側の親戚からは、香典を送ってくれた人全員が
香典に手紙を入れてくれて、「認知症の介護を含めて、この度は大変でしたね。」と
母と私をねぎらう言葉が添えられていて、嬉しかったです。

中でも、母方のある女性から
「私の父が亡くなった時は、おねえさん(母の事)がお葬式に来てくれて、
一緒に父を見送ってもらって、とても心強かった。
なのに、この度はコロナ禍とはいえ、おねえさんとティー子ちゃんには
ふたりだけで寂しい思いをさせてしまった事を、とても申し訳なく思う。」

という言葉を頂いた時は、ボケ父の臨終は今か今かと望んでいた事であり、
ちっとも寂しくは無かったのですが、
老人ホームに入れる前の、在宅介護の大変だった時の事や
女手だけで、なんとか認知症診断に連れていって、
奇跡的に施設に入れられた時の事、今までの介護費のお金の苦労
なんかが、分かってもらえたような気がして、嬉しかったです。

あとは、今までは私にはあまり気が付く事が無かった、
ボケ父の数少ない良かった部分を、
「あの時はお世話になりました。ありがとう。」
と書いてくれました。

ボケ父の数少ない良かった部分とは、

私が子供の頃は、私の母側の祖母(母の母)が、まだ若くて元気で、
祖母を始めとする母側の親戚達が、長い期間、よく我が家に泊まりで遊びにきて、
夜中まで、母と親戚たちが、積もる話でワーキャー騒いでいても、
嫌な顔はせずに、いつまでも滞在させていたなぁと。
そして、親戚達が帰った後も、母にそれについて文句を言う事は無かったです。

まぁ、ボケ父は、自分の部屋という聖域=サンクチュアリ が守られてさえいれば
部屋の外がどうなっていようと、関係の無いことだったというのもありますが。

嫁の母親とか嫁の親戚が、家に泊まりに来るのを、
嫌がる夫って世の中には少なくないんでしょ?

私も、いつもボケ父と母がカネの事で喧嘩してたし、
核家族だし、一人っ子で寂しかったのもあるし、
母側の祖母が、叔母や従兄を連れて遠い所から遊びに来てくれて、
我が家が大家族みたいになるのが嬉しくて、それが子供の頃の楽しい思い出でした。

そういうのに口を出さなかったというのは、ボケ父の数少ない良かった部分かなぁと、
母側の親戚の手紙によって、思い出しました。
母側の親戚でね!

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コメント

  1. 高橋幸子 より:

    はじめまして、長い間の、ご苦労、ほんとうに、お疲れさまでした。
    これからは、自分のことだけ、考えて、元気よく、機嫌よく、お過ごしくださいね。私は、お母さまと、同い年、77歳です、タイで、ひとり暮らし、年金生活です。去年、夫が79歳で、亡くなりました。介護生活、5年しましたよ。なので、ティー子さんの気持ちが、よくわかります。がんばって、くださいね

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