生前は足を引っ張られてばかりだったが、臨終後は私の望みどおりだった

ボケ父の臨終については、ほとんどの手続きが終わり、
あとは初回の遺族年金が無事に母に振り込まれるかどうか確認するのと、
相続登記をするぐらいになりました。

臨終した7月は怒涛の展開でしたが、我ながら実にスムーズに事が運んだと思います。

思い返してみれば、ボケ父がボケる前は、
生活費を家計に入れようとしなかったり、家族に非協力的であったり、
家計からお金を騙し盗ろうとしたり、

ボケた後は、
早朝電動自転車徘徊に、徘徊中に転倒して救急車搬送数回、
ボケて家電を壊す複数回、トイレ問題、暴力激高、
通帳カードをATMに置いてくる事多数、認知症を認めず病院受診拒否
介護費問題 etc

母と私は40年間、何から何までボケ父には苦労させられてきました。

しかし、急転直下のボケ父臨終の朝からは、
今までの思うようにいかなった苦労が嘘のように、全ての母と私の望みが叶いました。

第一に、ブログでも時々書いていたかな?
かねてより私は、「ある朝突然、ボケ父の訃報が届きますように。」と願っていたのですが、
朝どころか夜も明けきらないうちに、病院からの危篤を知らせる電話で叩き起こされました。
願いどおりだ!

そして、病院に呼び出された一発で決着をつけてもらいたい。
危篤から持ち直して、片道2時間以上かかる病院に何度も通うような事は勘弁!
と思っていたところ、実際にその一発で決着はつきました。

4年前のボケ父が医療保護入院となり施設介護になった時には、
私はボケ父の面会には絶対に行かない。次に会う時は、危篤か臨終した時だ!
と願っていたとおり、ボケ父と再会したのは臨終後でした。

これは、コロナ禍による面会禁止の影響も大です。
平時でしたら、大量下血で救急搬送された時点で、
一度は病院へ行って面会しなければなりませんでしたから。

あとは、母と私だけの、費用をおさえた火葬式のみの直葬。
火葬から自宅へ遺骨を持ち帰らず即・納骨する「即納」(母と私の造語。)
これも希望通り。

納骨も費用をおさえた、永代供養の合祀墓。
とても素敵なお寺にお願いできました。

というように、全てが願いどおりのトントン拍子。
まぁ、実力行使ってのもあるんですけどね。
今まで苦労してきた分、感慨深いです。

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